2020年06月08日

一本の電話

サッカーのない、どちらかというと単調な日々の続いた3か月間でしたが、恐ろしいものでその刺激のない、ウォーキングと読書の生活に体が順応していきつつあることに気づかざるを得ない毎日を過ごしてきました。
6月からどうやらサッカーを始められそうな気配がだんだんと強くなりだした5月も終わり頃になってくると、サッカーができることの嬉しさと、しかしどこかで、またあの曜日に追われる生活が戻ってくるのかという、ある種の面倒くささというか、しんどくなるなという思いも正直感じつつ、6月の再開を迎えました。
アカデミー生の子どもたちも、やっと思いっきりボールを蹴れる喜びと、アカデミーのトレーニングの目的を思い出しつつ、恐る恐るメニューに取り組んでいる雰囲気がそこはかとなく感じられるトレーニング初日でした。私自身も初日のトレーニングを終えて、アカデミーの感触をつかみなおし、手ごたえを実感することができて、ホッとした思いで家路に着いたのを覚えています。

さて、そんな遊園地のボートに初めて乗ってこわごわ漕ぎ出した感じもするスタートの中で、今年度新規スタートのU-8クラスの初日が近づいてきました。まだまだ、所属チームの活動もままならないところもあるようで、4月開講予定が6月にずれ込んだ影響もあるのか、体験参加の申し込みはたったの一人。どうしようか、翌週には6人の体験参加の申し込みが来ています。一人では、個人スキルのトレーニングはできても、サッカーそのもののトレーニングはできません。一人でトレーニングを行うことで、かえって悪い印象を与えてしまわないかなどと思い悩んだ末に、申し込んでくれた子ども(小学2年生)のお母さんに電話をしました。

私「今のところ、明日のU-8クラスの体験参加は一人だけなんですけど…。なんでしたら、体験参加を一週遅らせてもらったら、7人で体験トレーニングができるので、そちらのご都合の良いようにしてもらえたら…。」

保護者の方「うちの子ども、今ぜんぜんサッカーができていなくて、サッカーに飢えてるんです。ぜひ、明日お願いします。」

たいそうな言い方だと思われるかもしれませんが、この一言で目が覚めました。サッカーができることを心の底から待っている子どもがいる。(一人だけの体験な参加では、会場使用料すら赤字なのです。)私は、何のためにアカデミーを和歌山でもやりたいと思ったんだ。まだ会ったこともない、この子どもにアカデミーのすばらしさを感じてもらえないようなら、アカデミーを続ける意味がない、本当にそう思いました。
そして、プレーヤー一人、コーチ二人のトレーニングを必死になって考えました。一人でのトレーニングに、どうやって判断の要素を入れるか、どれくらいサッカーができる子どもなのか、当日初めて会うのでまったく分かりません。積極的な子どもなのか、引っ込み思案の子どもなのか、どんな性格の子どもなのかまったく分かりません。ぶっつけ本番の体験アカデミーでした。ドリブルでウォーミングアップをし、ドリブル・ターンのドリルをやり、ちょっと水分補給の休憩の時に、「どう? しんどい?」って尋ねると、はにかみながらもちょっとニコッとして「おもしろい!」って答えてくれました。

ワイドショーの小ネタ美談のような話ですが、瞬間うれしかったです。心の中の水面に、ポコッと小さな泡が立つような、そんな感じでした。まったく予期しなかった返事でした。不意打ちを食らったように「えっ!」と思いました。一瞬の中に本質(それって、本質の持つ普遍かつ永遠性のことです)が顕現することってあるのですね。サッカーの神様が舞い降りて来てくれたのです。サッカーの本質(と私が確信しているもの)をアカデミーの子どもたちに伝えたい、アカデミーを和歌山で始めたいと思ったのは、そこにあったんだということを、3か月間の怠惰な生活の中で忘れかけていたかもしれない私に、ボールに触れたいんだ、サッカーやりたいんだという子どもたちがどこにでもいるんだ、お前は何をしたいんだ、ということをサッカーの神様が思い出させてくれた一瞬でした。

  

Posted by Okuno at 09:13Comments(0)